岩切歴史探訪の会さんとの共同企画で開催しておりますこのイベントも、例年5月・11月の開催が定番となりまして、今回が6回目・3年目となりました。ジオラマや資料などいつも丁寧にご準備頂いております松本忠雄さんと、『我がふるさと岩切』の書籍執筆者である三浦昇さんのコンビでお届けしておりましたが、今回は三浦さん病欠につき、佐々木顧問にご協力頂きました。
今回は中央記念館からのスタートです。岩切城までは道路沿いを歩いていきます。
岩切城入口に到着しました。現在遊歩道になっている右側の道は、もともとあったものではなく、整備に伴い後から作られたもので、ちょうどこの看板の上あたりに当時の道があったのだそう。
紅葉を楽しみながら、進んでいきます。
薬研掘跡近くから遠く泉ヶ岳方面を望みます。
あまりに眺めがよいので、みんなで記念撮影!
こちらも、右側の舗装された道路は当時はなく、左側のみなさんが登られているところが道だったのだそう。
本丸跡です。四方が見渡せます。お城といっても、立派な石垣のお城ではなく掘立状で、通常は洞ノ口におり有事の際のみ利用していたそうです。
岩切城の合戦は、中央での足利尊氏と弟の直義の権力争いに巻き込まれて、奥州管領であった尊氏党の畠山国氏と直義党の吉良貞家が武力衝突。観応2年(1351年)に畠山高国親子が籠る岩切城に吉良方の軍勢が攻め入り、畠山国氏・高国が切腹し以下一族百余人が討死して戦いが終結した、とのことで、今の穏やかな様子からは想像のできない、凄惨な悲劇が起こった場所なのです。
(詳しいお話は、ぜひご参加頂いて松本さんの説明を直接お聞き下さいませ)
伊達氏第17代当主・仙台藩初代藩主の伊達政宗が生まれたのが1567年ですから、それよりも約200年ほど前の出来事です。
二の丸から三の丸跡へと進みます。
岩切城址はサクラの名所として有名ですが、近年は老木化と病気の影響で、パネルのように満開に咲いてくれることはなく、悲しい限りです。
木の橋ではなく土で橋を作ったのは、橋を壊されて孤立するのを防ぐためだったのだとか。
その昔、岩切小学校の運動会はここで開催されていたそうです。
本当はもう少し立ち寄りたい場所がありましたが、時間の関係上今回は断念し、県木の道から青少年の森へと下ります。
2号展示館にて少々休憩しながら、前もって準備して頂いておりましたジオラマを使って、現在地の説明など。
今日通ってきた所を再確認しています。
琵琶法師の琵琶の音ならぬ、フルートの生演奏にて、戦いで亡くなった人々の霊魂を鎮める松本さん。みなさんもしっとりと聴き入りました。
青少年の森からゆっくりと中央記念館を目指し、散策日和の暖かな天気の中、とてもなごやかに終了となりました。普段植物や生き物にしか目がいかないことが多いですが、たまには歴史や地形だけを追いかける散策もとても楽しいものでした(どなたかブラタモリみたいだな、とおっしゃっていましたが)。また次回来年5月に開催予定ですので、今回参加できなかった方もぜひご参加下さい。